電通に入社した東大女子社員が新卒1年目で過労死し、異例のスピードで労災認定されたという痛ましいニュースが報じられた2016年10月。
この”事件”に関しては、そのショッキングなニュース性から、実に様々なサイトで指摘、考察、糾弾がなされました。
日本企業の在り方、労働者としての働き方、高学歴女性の就労実態、パワハラ・モラハラ、業界特有の商習慣など、日本企業の闇とも言うべき「労働」について、ネット上で激論が交わされたと言っても過言ではないと思います。
また、今回の事件を受けて筆を取った筆者も、実は過去、ある上場企業に勤めていたときに、残業200時間越えの過酷な労働を強いられたことがあり、それが原因で、今なお、後遺症を抱えていることから、今回の事件は決して他人事とは思えません。
今回は、上場企業からベンチャー企業まで転職を数度重ねてきた筆者が感じる”ブラック企業の本質”について記事にしてみたいと思います。
ブラック企業では過去の成功体験がルールを決める
日本が第2次世界大戦で負けた原因を様々な観点から考察する名著「失敗の本質(中公文庫)」では、いかに日本が負けるべくして負けたかのかを読み解くことができますが、その本質の一つに、「過去の成功体験を過大評価し、そして固執する」というものがあります。
それが何を指しているかと言いますと、たまたま偶然が重なり上手くいってしまった作戦や、あるいは、かなり非効率的なやり方で手にした成功であっても、”結果的に”成果が上がれば良し、そして、それがその組織の中で標準となってしまうというものです。
これをブラック企業に例えれば、毎月多くの残業をこなし「数撃てば当たる」からこそ成果が得られる、クライアントの無理に応えるからこそ、「今の業績が上げられる」といった過去の成功体験=幻想に近い、ロジックです。
確かに、労働時間を長くし、仕事にかける時間が長くなればなるほど、成果は上がりやすくなることもあるかもしれませんが、それはビジネスのあらゆるケースで約束されるわけでは決してありません。
つまり、“労働時間さえ長くすればなんとかなる”というのは、本当かどうか怪しいということです。
日本は、長時間労働が職種や業種によっては、当たり前になっていますが、では、国としての肝心の国際競争力は、どうなのかと言いますと、経済産業省の資料によれば、WEF国際競争力ランキング(総合)の推移は、ここ10年で日本の競争力が大きく伸びているという事実はありません。
データ出所/WEF国際競争力ランキング(総合)の推移 -経済産業省-(PDF)
となりますと、従来までの「労働時間を長くさえすれば、何とかなる」あるいは、「個人に負荷をかけてでも仕事をこなせばいい」といった前提そのものが、間違っている可能性があるのです。
「いや、これだけ労働時間を伸ばして働いているから、この順位を保っているのでは?」という見方もあるかもしれません。
では、日本よりも上位に位置する国々労働者は、日本人以上に過酷な労働を強いられているでしょうか?
決してそんなことはないでしょう。
つまり、日本のブラック企業は、困ったときの必勝法とばかりに信じてきた「労働時間を長くさえすれば、何とかなる」あるいは、「個人に負荷をかけてでも仕事をこなせばいい」といった戦略や戦術が、通用しなくなっているという可能性にすら、気づいていないのです。
「僚機を失った者は戦術的に負けている」byエーリヒ・ハルトマン
自社の社員を過労死にまで追い込むまで個人に負荷をかける経営体制を敷く日本のブラック企業。
そんな日本のブラック企業の戦略や戦術が通用しなくなってきている可能性があることについて、ここまで見てきましたが、そもそも、自社の社員が過労死するような会社は、資本主義の中で、すでに戦術的に負けているという見方もできます。
なぜなら、優秀な自社の社員を失うというのは、その企業の競争力を自らの手で奪っているのと等しく、そうした状況を招くというのは、そうでもしないと企業が存続できないことを意味しているからです。
そして、そんな戦術的に負けているブラック企業に勤めているということは、いつ撃墜されてもおかしくない戦闘機に乗っているようなものなのです。
第二次世界大戦時のドイツ空軍のエース・パイロットであり、空中戦での撃墜機数(最終撃墜数352機)が戦史上最多の伝説の撃墜王エーリヒ・ハルトマン。
エーリヒ・ハルトマンが携わっていた仕事は、まさに命がけの仕事で、撃墜されれば、かなりの確率で死が待っているという過酷なものでしたが、彼は第二次世界大戦中を通して、敵機を次々と撃墜することに成功し続けてきました。
では、そんな伝説の撃墜王であるエーリヒ・ハルトマンが、最も大事にして教訓は一体、何だったのでしょうか?
それは
「僚機を失った者は戦術的に負けている」
というもので、妻への手紙の中で「自分は歴代最高の撃墜数よりも、一度も僚機を失わなかったことの方を誇りに思っている」と語っているほどなのです。
つまり、自分の味方を失うような方法は、命がけの戦いの中では、戦術的に”負けている”というのです。
言い換えれば、ブラック企業で働くというのは、競争に敗れている会社で働くということを意味しており、例えどんなに知名度がある会社であっても、その会社が運営方針を見直さない限り、明るい将来が待っていないことは、第2次世界大戦の日本の結果を見れば明らかです。
命さえあれば、再起もできるし、自分の人生を生きることもできる。
ここまではブラック企業の本質について見てきましたが、そうした企業で働くこと、そして、そうした企業を離れることについて触れておきたいと思います。
筆者自身、月200時間近くの残業を行っていたときは、”仕事”がかなり精神を蝕んでいましたが、その会社で働いていることがアイデンティティとなっていたり、他人から逃げたと思われることに引け目を感じたり、あるいは、自分に負けることが許せないといった心理から、その会社を辞めるという決断がなかなか下せませんでした。
しかし、筆者の場合、このまま突き進むと、生死に関わることになる・・・、家族を残して、このまま死ぬわけにはいかないという思いから仕事を辞める決断をしました。
そして、現在、どこそこの企業に勤めているという他人からの評価、そして、他人から逃げたと思われたり、自分に負けたといった感覚は、全くと言っていいほど、消失しています。
まず、自分が仕事を辞めるといった決断をしたことで、他人からの評価をベースにして生きる人生は、「他人の人生」を生きることに過ぎないことに気づかされ、自分が本当に何がしたいのか、どんな風に働きたいのかを改めて考え、見つめ直したことにより、「自分の人生」を歩み始めることができました。
そして、「逃げた、負けた」という感覚ですが、仕事を辞めた直後こそ苦労したものの、筆者の場合、年収面でも待遇面でもプライベートでも、転職後の方が幸運にも好転したことから、むしろ、「逃げた、負けた」というよりも「前進、成長」という感覚の方を強く感じています。
こんな風にポジティブな人生を歩むことができたのも、あの苦しかった環境に”耐えなかった”から、もっと言えば、命があったからだと思います。
また、筆者の周囲には、何度、転職してもサラリーマンが肌に合わず、思い切って起業して成功した人や、サラリーマン時代は全然、”パッ”としなかったものの、トレーダーとして成功しているなんていう人もいます。
ブラック企業を離れさえすれば、幸せが待っているということは決してありませんが、命さえあれば、再起や自分の人生を歩むことが出来る可能性はあります。
一人でも多くの人が、自分らしい働き方ができるようになればと、心から願いつつ、筆を置きたいと思います。
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。